自分を構成しているものを一言で表すならこの言葉に尽きる。
右利きの上半身に左利きの下半身。
自己中心的な行動と過剰とも言える謙遜。
アンバランスな体とアンバランスな心。
それらが絶妙とも言えるバランスで自分の世界は成り立っている・・・と考えるのである。
最近、ダイアリーノートに足を運んでくれている方々のなかには心の病で苦しんでいる人の日記が多いことに気づいた。
そこで、私も自分の症状を「日記」という視点から捉えてみようと思う。
私が抱えている悩み・・・それは神経症である。
正確には神経過敏症。
人間の心には、大きく分けて2種類の状態があると自分の中では思っている。
ONの状態。
OFFの状態。
ONになっているときは適度な緊張を持って相手に接し、OFFは自宅に帰ったときなど、緊張をほぐすときにスイッチが切り替わるのだと、私は思う。
つまるところ、私はこのON、OFFのスイッチがうまく機能しないのだ。
正確にはONの状態がずっと続く。
それも、メーターが振り切れるくらいガッチガチの緊張状態が。
すべてのイベントにそんな緊張状態で接してしまえば、それこそ神経が擦り切れておかしくなってしまうだろう。
イベントと言っても、その意味は非常に広義的なものである。
自分の心の琴線に触れるもの。
潜在的に拒否するもの。
特定のキーワードでつづられるもの。
なんでもいいのである。
自分が「危険」という信号を発した瞬間、それは心の痛みとなって全身に拡がるのである。
たとえば、免許の更新。
丁度、今年免許の更新なのだが・・・
それを考えた瞬間、頭の中ではすさまじいスピードで物語を構成していく。
免許の更新はどうやる→
忘れたらどうしよう→
受けるにも場所を覚えてない→
忘れるわけにはいかない→
もし忘れたら免許が失効になる→
また免許を取らなければいけない→
いつやるのか→
分からない→
→のことを考えるたび、それぞれの事件に対する「恐怖」が蓄積されていく。
そして、その恐怖は自分の意思では制御できなくなってしまう。
体中が震えて意識が遠くなるのが分かる。
呼吸が荒くなっていく。
たかだか免許の更新ですらこうなのだ。
すべての出来事にこんな感じで真正面からぶつかったらどうなるか。
間違いなくおかしくなるだろう。
心の痛みは主に胸、そして背中。そして呼吸。
なぜ背中にも痛みを感じるかと言うと、クリニックの先生曰く
「心が悲鳴を上げているサイン」
とのこと。
背中の部分をなにか鋭利な刃物で傷つけたような、寒くて鋭い痛みである。
そんな痛みと足掛け8年付き合ってきたわけだが、こうして未だに残っている。
通常の精神状態ではここまでひどい症状にはならない。
どうやら緊張のメーターが振り切れると体が痛みを訴えだすらしい。
怖い怖い怖い。
ひたすらそれのリフレインなのである。
ある程度は抑えられるが、意志の力が介入できる部分は少ない。
昔の経験が潜在意識として体に染み付いているからだ。
いくら意識レベルで「大丈夫」と自分を励まそうとしても無駄なのである。(多少はよくなる)
とにかく怖いのである。
そうなってしまうともとの状態に戻るのにしばらく時間がかかる。
そこで、クリニックから処方してもらった薬を食事時にのむことによってある程度症状は改善できる。
ただ、効き始めるまで15分くらいかかる。
脳からドーパミンやらなんやらが
しかし、怖くなればなるほど警戒心が強くなるから困ったものである。
いっそのこと、壊れてしまいたい
と思ったことも1度や2度ではない。
それを克服する手段の一つとして、最近見つけたこんな法則がある。
「マーフィの法則」である。
〜念ずれば通ず〜
そんな言葉を体現したような話である。
私がこれを克服する方法はこの法則にしたがって植えつけられた潜在意識を上書きすることである。
良き思念で思想を満たせ。
こうすることで潜在意識の上書きができるみたいだが、なかなか難しいらしい。
薬以外の緩和策としては満腹になること。
腹がいっぱいになると胸の痛みが少しずつ薄れていくのがわかる。
ま、一生付き合う体ですし、直せるものなら直したい。
この症状の根本的な部分はもっと奥にありそうである。
右利きの上半身に左利きの下半身。
自己中心的な行動と過剰とも言える謙遜。
アンバランスな体とアンバランスな心。
それらが絶妙とも言えるバランスで自分の世界は成り立っている・・・と考えるのである。
最近、ダイアリーノートに足を運んでくれている方々のなかには心の病で苦しんでいる人の日記が多いことに気づいた。
そこで、私も自分の症状を「日記」という視点から捉えてみようと思う。
私が抱えている悩み・・・それは神経症である。
正確には神経過敏症。
人間の心には、大きく分けて2種類の状態があると自分の中では思っている。
ONの状態。
OFFの状態。
ONになっているときは適度な緊張を持って相手に接し、OFFは自宅に帰ったときなど、緊張をほぐすときにスイッチが切り替わるのだと、私は思う。
つまるところ、私はこのON、OFFのスイッチがうまく機能しないのだ。
正確にはONの状態がずっと続く。
それも、メーターが振り切れるくらいガッチガチの緊張状態が。
すべてのイベントにそんな緊張状態で接してしまえば、それこそ神経が擦り切れておかしくなってしまうだろう。
イベントと言っても、その意味は非常に広義的なものである。
自分の心の琴線に触れるもの。
潜在的に拒否するもの。
特定のキーワードでつづられるもの。
なんでもいいのである。
自分が「危険」という信号を発した瞬間、それは心の痛みとなって全身に拡がるのである。
たとえば、免許の更新。
丁度、今年免許の更新なのだが・・・
それを考えた瞬間、頭の中ではすさまじいスピードで物語を構成していく。
免許の更新はどうやる→
忘れたらどうしよう→
受けるにも場所を覚えてない→
忘れるわけにはいかない→
もし忘れたら免許が失効になる→
また免許を取らなければいけない→
いつやるのか→
分からない→
→のことを考えるたび、それぞれの事件に対する「恐怖」が蓄積されていく。
そして、その恐怖は自分の意思では制御できなくなってしまう。
体中が震えて意識が遠くなるのが分かる。
呼吸が荒くなっていく。
たかだか免許の更新ですらこうなのだ。
すべての出来事にこんな感じで真正面からぶつかったらどうなるか。
間違いなくおかしくなるだろう。
心の痛みは主に胸、そして背中。そして呼吸。
なぜ背中にも痛みを感じるかと言うと、クリニックの先生曰く
「心が悲鳴を上げているサイン」
とのこと。
背中の部分をなにか鋭利な刃物で傷つけたような、寒くて鋭い痛みである。
そんな痛みと足掛け8年付き合ってきたわけだが、こうして未だに残っている。
通常の精神状態ではここまでひどい症状にはならない。
どうやら緊張のメーターが振り切れると体が痛みを訴えだすらしい。
怖い怖い怖い。
ひたすらそれのリフレインなのである。
ある程度は抑えられるが、意志の力が介入できる部分は少ない。
昔の経験が潜在意識として体に染み付いているからだ。
いくら意識レベルで「大丈夫」と自分を励まそうとしても無駄なのである。(多少はよくなる)
とにかく怖いのである。
そうなってしまうともとの状態に戻るのにしばらく時間がかかる。
そこで、クリニックから処方してもらった薬を食事時にのむことによってある程度症状は改善できる。
ただ、効き始めるまで15分くらいかかる。
脳からドーパミンやらなんやらが
しかし、怖くなればなるほど警戒心が強くなるから困ったものである。
いっそのこと、壊れてしまいたい
と思ったことも1度や2度ではない。
それを克服する手段の一つとして、最近見つけたこんな法則がある。
「マーフィの法則」である。
〜念ずれば通ず〜
そんな言葉を体現したような話である。
私がこれを克服する方法はこの法則にしたがって植えつけられた潜在意識を上書きすることである。
良き思念で思想を満たせ。
こうすることで潜在意識の上書きができるみたいだが、なかなか難しいらしい。
薬以外の緩和策としては満腹になること。
腹がいっぱいになると胸の痛みが少しずつ薄れていくのがわかる。
ま、一生付き合う体ですし、直せるものなら直したい。
この症状の根本的な部分はもっと奥にありそうである。
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