筐体百景。

2005年12月6日 日常
めでたく100件目の日常風景は・・・

今月号のアルカディアで惜しくも終了となってしまったこのコーナー。ちょっと掲載したいと思います。


「何故、ゲームをやるのか?」と、問われても、
「そこにゲームがあるから」−−−そう答えるより、他はない。

誰が褒めてくれるわけでもない。
歴史に名が残るわけでもない。
お金が儲かるわけでもない。

見返りなど何一つ求めずに。
我々は今日もコインを投じる。

そこに筐体があるから。
理由なんて、それだけでいいじゃないか。
ゲームが趣味だとは、絶対にいいたくない。
息を吸うのが趣味だという人間は、さほどいないと思うから。

人生の一部であり、情熱の欠片であり、
可能性の扉であり、人と人をつなぐものであり。
百の筐体があれば、そこには百の物語がある。

いつまでも共に歩もう。
筐体が紡ぐ、無数の光景を胸に宿しながら。


 「オタクブーム」ともてはやされ、ゲームに絡んだ凶悪事件が頻発している昨今ではありますが、ゲーマーの方もそうでない人も今一度この言葉の意味を噛み締めてほしいと思います。

 要は、「モラル」なのです。

 スポーツだって格闘技だって、パチンコだって競馬だって、そこにルールが存在しているからこそ面白いのだと、そう思うわけです。

 ゲームだって、同じことなのです。エンタテインメントですから。それはコインを投じるゲームでも、家庭のゲームでも。

 アクションゲームならその一瞬にカタルシスを求め、
 シューティングなら弾幕をくぐる一瞬にカタルシスを求め、
 RPGなら自分の立てた戦略にカタルシスを求め、
 格ゲーならコンボと読みあいにカタルシスを求め、
 音ゲーなら音を奏でる瞬間にカタルシスを求めるわけです。

 その一瞬が、たまらなく楽しいのです。

 言い方はあれかもしれませんが、現実と仮想の区別がつかない人間にはゲームを触る資格はないと思うわけです。

 一ゲーマーとして恥ずべき行為だと、俺は思います。

 そういう変な犯罪のたびにゲームが矢面に立たされるのはゲーマーとして看過できない事項だと思いますが、いかがでしょ?



 あなたのモラルは、大丈夫ですか?



 と、偉そうなことをいっておりますが、「ゲーム系の話題」になると興味津々に首を突っ込んでくる上にしゃべり出すと立石に水を流すようなトークで周りの人間が引いてしまう俺の人間的なモラルを見直す必要がありそうです。

 それに加えてそういう犯罪のときにニュースで登場した美少女ゲームのパッケージ(もちろんタイトルはモザイク)を見て


 「うわ、俺このタイトル知ってる(見たことある)w」


 と自分では普通になったと信じていたのに(その時点からしてすでに間違っているが)やっぱり自分の知識の豊富さにゲーマーとしての性(さが)をメディアを通じてまざまざと見せ付けられて凹む俺。

 そんな経験をしたのは俺だけではないことを切に願う。

 そしてなんだかだんだん自虐的になるのは仕様。
 (仕様、とか使っている時点でもはや駄目人間まっしぐらw)

 ゆえに「人生これ×(ぺけ)日和。」

 毎日がペケ日和です。

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